2006.06.21

なぞるだけでは

えーと。
練習おつかれさまでへろへろな毎日ですが、家に帰ってきてからサッカーを見てます。
実は結構毎日見てます。
だいたい23時ごろの後半戦からだけですけど…。

で、
昨日の新聞に日本チームに対する村上龍のコメントがありましたね。


「日本選手は、どこかサッカーというゲームを「なぞって」いるような感じがする。W杯という現実に立ち向かうのではなく、決められたことを淡々とこなしているように見えてしまうのだ。」


うーん。
さすがに龍さん鋭いなと思いました。

僕は日本戦を見ても、ぜんぜんどきどきしないです。
他の国の試合は見ていてびっくりさせられることがあって、見ていて楽しいのですが、日本戦は、特に日本が攻めているときは、暇です。
何かが起こりそうな気がぜんぜんしないからです。
(もちろん全部の試合を見ているわけではないので、いちがいには言えないですけど。)
日本の応援にドイツまで行っても、元気もらえないように思います。
(もちろんお金ないので行けないですけど。)


龍さんが「なぞる」という言葉を出してくれたので思うのですが、この「なぞって」いるという感覚はサッカーに限らずいろんなところで感じます。
もちろん自分自身が何かを「なぞって」終わりにしていることもしばしばです。

もちろん「なぞる」ことにも効用があって、技術の習得とか、効率的な事務処理とかで必要なときも多々あると思います。
でも、「なぞって」いるだけでは、何か物事を生み出すことはできないのだろうと思います。
たぶん奇跡とかいうものは「なぞる」ことのもっと向こう側にあるのです。
現実に立ち向かって、創造的に頭を使って、なんやらかんやらもだえた後に、感動っていうのはあるのかもしれません。
そしてそこにいたる過程が、観客をどきどきさせるのでしょう。

サッカー面白いですね。
僕はへたくそですけど。
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